骨まで拾ってほしいのよ~

最近の告別式は、だいぶ楽になったと思った。

受付だけすればいいだけだ。とはいうものの、今回は会計を任されて、手

書きで 自分でも読めないような字をかくことになってしまった。なんだかは

められたような気分だった。

 お清めもすみ、しばらく待合い室で時間をつぶした後にお骨をひろいに行った。

隣組でこの儀式に参加するのは、はじめてのよな気がする。普段は、親族だけで行って

いたのではないだろうか。

 自分の番がきて、箸を渡されて前にいた人と骨をひろって、骨壺に収めた、

瞬間すべてが暗転した。遠くでだれかが自分の名前を叫ぶのが聞こえた。

そう男は、癌でもう長く入院生活を送っていたのだった。そして、これが男の見た最後の

夢だった。そう拾っていたのは、実は自分の骨だったのだ。

この世は、現実のような夢と夢のような夢があるだけだと思った。

次の瞬間、自分のお骨をだいて行進する家族を上空から見ながら、男はつぶやいた。

「なんだ、すべたは夢だったのか。」と

一瞬、娘に抱かれた赤ん坊がこちらを見て、微笑んだように感じた。

昔、聞いた音楽が流れた。

「生きてるかぎりはどこまでも

探しつづける恋いねぐら

傷つきよごれたわたしでも

骨まで、骨まで~、

骨まで拾って、ほしいいのよ~。」

 現実とは、何なのだろうかと思う。「死」を迎えることによって、結局、確かな存在に見えるこの現実の世界も夢と同じものになってしまう。この世は、消えなくとも、自分自身が氷のように溶けて消えてしまうのだから。

 意識というものは、壊れた映写機のようにいつまでも無限に物語をつくり続けるのだろうか。光源に向かい、意識を光りそのものに溶かした時、はじめ て永遠の安らぎと喜びに浸ることができるではないだろうか。それが、いつまでも回り続けるこの輪廻の輪が作り出す夢の世界から真に目覚めるということだろ うか。